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東京都地域密着型協議会会員の皆さんへ

2016年04月22日 | 未分類

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僕の初動から感じていること

毎年のことですが「春の五島行」(五島:長崎県の離島)を行っており、そのついでに(と言っては何ですが)、僕の方から佐世保市の仲間に「研修会をやろう」って呼びかけて飲食呑付ボランティアで行っていましたが、その打ち上げの居酒屋で「かんぱーい」を交わした直後、みんなの地震警報が一斉に鳴り響き、一発目のグラグラ!。

その時点では、まだ状況が呑み込めないし報道を見ていると電柱も倒れていなかったので、15日は予定通り五島に渡り、研修会&懇親会を実施。16日は釣りをするために海に出ました。

17日状況が変わり、佐世保の仲間が引き上げて支援の対応をすることになり、僕も同行することを決めたのですが、現地の方から「危ないので来ない方が良い」と言っていただき、五島の仲間と、一緒に行った他の仲間とその日は「五島」を堪能し、18日に先発して熊本の状況を掴んできた佐世保の仲間と合流して、レンタカーを調達、物資を買い込み支援行動に出ました。

※ その時点で必要とされたモノ
 飲料水、飲料水を入れて運ぶ容器、野菜ジュース、衛生用品(ウエットティッシュ、生理用品など)、乳児用品(ミルク、レトルト食品など)、紙製食器類、介護用品(オムツ類)、カップ麺など、利用者・入居者用だけでなく職員さん用を必要とされました。

熊本の仲間から聞いていた必要なモノを車に載せて深夜に佐世保を発ち、熊本駅前にて車中で夜を明かし、19日早朝から熊本の仲間と合流して物資を供給して回りました。
熊本市内は電気こそ点いていましたが断水で、どこもかしこもトイレが使えず大変でした。排便を控えるために食べることを控えたのですが、青空のもとで排尿しにくい女性は水分も控えたのではないでしょうか。

これは拠点にした特養でも、施設自体はひびが入った程度で済んでいましたが、施設周りのアスファルトが地盤沈下して配管をぶち壊したため、水はあるのに施設に供給できない状態で、排せつ後にペットボトルやバケツで流す状態でした。
もちろん翌日の20日には業者によって応急処置され、一部使用可能となりましたが、たったひとつのトイレが救いの女神のようでした。

物資調達の資金は「個人カンパ」を募って確保。その資金で調達したモノを、熊本の仲間が関係するグループホーム、病院、特別養護老人ホームへ運びました。
大分からも仲間と連絡を取り合って、別便で物資を調達し、南阿蘇村のグループホームや熊本市内で在宅訪問診療をがんばっている医師のいるクリニックと老人保健施設へ運びました。

被害の大きかった益城町の南側に位置する嘉島町にある仲間の特養を拠点にして情報を集め、そこから物資を調達しに出かけて届けることを考えていましたが、甚大な被害を受けた地域が限定的なこと、甚大な被害を受けた地域は別として不足しているモノが「飲料水や飲料水を運ぶ容器」が中心であったことが東北の時とは違っていました。

当然のことですが、飲料水等を調達しに動いても、各家庭で急速に備えだしたこと、避難所優先に配分されていることで店頭に回ってこないのではないかと思いますが、需給バランスが狂っているため、どこも品物がありませんでした。

コンビニは閉じているところもありましたし、どこもオニギリやパン、地域によってはお菓子まで空っぽでしたが、21日には「空輸で届きました。東京の香りがするパンです」と微笑んでくれた店員さんの声に代表されるように、流通が回復し始め店頭に並びだしました。

これも至極当然のことですが、同じ熊本県内でも地域によって温度差がかなりありましたので、19日と20日はモノを求めて県内を回り、長崎県へフェリーでも渡りました。

現地の仲間を通じて被害の大きかった益城町の老人保健施設で飲料水が不足している話を聞き、拠点にした特養のある嘉島町は水がもともと豊富な地域だったので、容器を探してそれで水を運ぶことを計画して動きましたが、容器そのものを確保するのに1日かかり、翌21日に現地へ行った時点では自衛隊の給水車が入っていて、「水不足」がそれなりに回復していましたが、刻々と状況が変わっていました。

 東北大震災の時と違うなと思ったのは、甚大な被災地域への公的支援の手が早かったこと、民間の支援もネットワークを通じて早かったのではないかということです。

 20日の時点では「モノ余り」が聞こえてくるほどまで回復していましたし、21日益城町に入った時点では、状況を把握しないままモノを持ってこられる支援団体がいたりして、「ありがたいけど対応に手が取られるからなぁ」といった声も聞かれました。

 逆に、支援側のちぐはぐさも露呈していました。
 公的な避難場所が旧い建物で、避難した人が特養に移動し、そこが事実上のその地域の公的な避難場所になっていましたが、電話機が使えないことが幸いだったようで、生きていたら電話の呼び鈴の音で参っていたし、その対応に追われたのではないかとも言っていました。
 又、おにぎり数千個が配給されないままのところ、ソーセイジしか食べていないところもそう離れていない地域で起こっていました。
 公的なところもそうですが、民間の支援者たちが各地から物資を集めていても、そこに集まっていることが一般の市民にはわからない、配給して回る人手がなく、積まれたままの状態というのも目にしました。

これからは「ひと」と「おかね」、中でもできることは「おかね」

 僕は21日に引きあげました。
 というのも、この先必要なモノは物資よりも「ひと」と「おかね」かなぁと思ったからです。
 東北大震災の時は、被災後の一週間、今回と同じように個人として「物資補給」で動きましたが、個人では全く間尺に合わない「無力さ」を感じたほど、物資不足が深刻でした。
そのためその後は組織的な活動を重視し、協議会の仲間と協力し合って、みんなで「集める・運ぶ」を行いましたが、被災地から叱られるかもしれませんが、熊本は今のところ、これから必要なモノは「ひと」と「おかね」かなと思います。

介護職員さんたちは自らが被災者でありながら懸命に業を担っていますが、疲労が蓄積してきていると、あちこちで聴きました。当然でしょう。又介護職員さんの家が倒壊して避難所から出勤してきている人もいます。

そうは知っても東京の僕らに「ひと」でできることは、ただでさえ人手が不足しているなかですから極めて限られています。気持ちはあっても、地団駄踏んでいる事業者・従事者もいることでしょう。僕はその一人です。

だったら、せめてできることは「おかね」であり、協議会の呼びかけに応じて、自らが応じるだけでなく、一人でも多く、一円でも多く集めていただければ大きな力になります。

協議会でお預かりする「おかね」は仲間を通じて、グループホームや小規模多機能型居宅介護の事業者に真水で配分されるようになっていますので、力を合わせて支援しましょう。

次は「我が身」です。
備えあれば憂いなしと昔の人は言ってくれていますが、改めて「備蓄」を見直しましょう。おそらく一週間分でも事足りるかどうか「?」ですが、まずは自力で一週間は持ちこたえられるようにしないと困るのは自分たち。
同時に、自宅でも備えましょう。期限切れの水でも空きスペースにとっておきましょう。

この国は、今生きている日本人が誰も経験したことのない「時期」を迎えているような気がしてなりません。
不謹慎かもしれませんが、熊本の人たちは「阪神」も「東北」もどこか他人ごとだったのではないかと感じたところもあります。

どうか「わがごと」として受け止めていただき、事業者としても個人としても資金的に厳しい中ではありましょうが、熊本の仲間たちを支援するため、自分たちの「先」に備えるために、尽力し合おうではありませんか

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